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逃げないことはそれだけで才能だと思った

唐突で申し訳ないのですが、タイトルのようなことを思ったのでそう書きました。大したことも書いてない記事で、いつものような勉強の事ではないです。

いつも私は自分の知識や理解能力への欲求を消化しきれません。それに私は多くの範囲で様々なことを知りたいと思う性質で、そのせいでなかなか一つのことに集中できない性格でもあります。一つのことに注力して頑張れる人達は元々高い能力や知識をさらに高めてどんどんと先へ行ってしまうことにいつも自分の能力の低さを感じます。

あと推理力と言うのでしょうか。頭で考えて次の物事を見る思考力が非常に低いです。将棋やオセロ、チェスと言ったゲームはもちろん、クイズやパズルも苦手です。試してからでないと理解できません。だから推論できる能力には非常にコンプレックスがあります。

最近、Twitterをやっていく過程でもそういった能力の高い人たちに会うこともあり、また勉強会等でもやはり自身を高めるべく頑張っている人たちに会います。その度に「私はあれほど頑張っているだろうか」と自分に問います。その問いの答えは決まって「今の自分にはできていない」です。

私は「自分には才能がないからできない」という言葉が結構嫌いで、本当にやりたい、なりたいのであればできるように努力すべきだと思っていますし、才能がないなら才能がある人の何倍も頑張ればいいと思ってしまいます。
そのくせ自分は頑張れないのです。結局のところ「自分には才能がないからできない」という言葉が嫌いなのは、自分ができていないから嫌いなのだと思います。


こういうことは昔から感じることがあって、最近特に感じるようになりました。中学のころは私立の進学校と言うわけでもなかったので、それも強く意識することは無かったです。

でも大学に入ってしばらく経って、強く意識するようになりました。最近はそれは逆にいいことだと思うようにしました。自分が強くコンプレックスを感じるほどレベルの高い環境へ自分を入れることができている、自分が目指すべき目標が見える位置に立っていることができていることは素晴らしいことだと思うようにしました。

これを考えていた時に、同じような記事を見ました。
理解力が低いというコンプレックス (うさぎ組) - http://d.hatena.ne.jp/kyon_mm/20120319/1332132203
記事を書いているkyon_mmさんは非常に努力家な人です。それほど歳が離れているわけでもないのにあれほど知識を持って頑張っている人を見ると、自分がちっぽけに思えます。あのkyon_mmさんがそう考えてしまうのなら、私が考えるのは当たり前なのかもしれません。

また
これまでと、これからと (pocketberserkerの爆走) - http://d.hatena.ne.jp/pocketberserker/20120323/1332507930
をみても素晴らしいなと思っています。pocketberserkerさんは同級生ですが、私よりも先を行っているように感じています。

上の二つの記事を見ていて、タイトルにあるような「逃げないことはそれだけで才能」だと思いました。それはまだ自分の中にもあるかもしれない才能だと思うことにしました。

今は素晴らしい環境があるので、あとは自分がどこまで頑張れるかだと思ってます。天才になれないなら、せめて秀才になれる努力はすべきですよね。焦らずゆっくりでもいいから、頑張ってみようと思います。

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