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とある理系学生のつぶやき(2)

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またまた書いてしまおう、この記事を。

というわけで、私見を偉そうに語ってしまおうというタイトル「とある理系学生のつぶやき」第2弾!

って言っても自己満足ですが。


今回は日本の日本の研究環境の問題。しいては教育への問題。


最近嬉しく思えるものの、少々残念な出来事があった。
2008年、ノーベル物理学賞南部陽一郎先生が選ばれたことです。

南部先生の功績は現代物理学の多岐にわたり、とくに素粒子理論を研究する者にとって南部先生はまさしくパイオニアと言える素晴らしい研究者です。
研究そのものは日本国籍の時の研究のものでしたが、ノーベル賞を受賞されたときすでに南部先生はアメリカに帰化していました。

物理を学ぶものとしてはやはり同じ日本人から選出されたということはとても喜ばしいことでした。
しかし、複雑なものでもありました。
南部先生ほどの素晴らしい研究者を日本は失っていたのです。
もちろん物理学全体としてはより良い環境で研究者が研究できることこそ、もっともよいことでしょう。
ただ、日本としてはとても残念な気がしてなりません。
この状況を生み出しているのが、研究への政府の注力の違いです。
海外には多くの研究所があり、まさしくスポーツ選手のごとく世界から優秀な人材を呼び寄せると言ったことが行われているようです。それができるのも、政府の研究費への割り当ての差です。
日本は海外に比べ、明らかに研究する環境が遅れているといっても過言ではないでしょう。

少し前にあった事業仕分けの「スーパーコンピュータ」の問題は政治の研究というものに対する考え方を如実に表したものだと思いました。あれでは他の国と比べても小中高の学生への注力はあっても、大学以降はまるで余興か何かのような扱いのように見えてなりません。もちろん、大学生の中にはそういう人もいるのかもしれません。しかし、ちゃんと研究を行っている人たちからすれば、このような扱いはまさしくあり得ないと言っていいでしょう。

さらにこの問題が深刻なのは注力を注ぐ義務教育でも、明らかにさも「やっている」ということを見せるためとしか思えないような対応がとられているということです。
教育そのものを変えるという考えはなく、ひび割れを接着剤でとめていくようなやり方でしかないように思えます。とくに教育費の無償化はまさしくそのように見えます。
奨学金の制度をしっかりと配備するといったことで対応する方がよっぽど「教育」のためにはなったと思います。
もちろん、「政治」のことを考えるとめんどくさい様々な組織整備が必要となり、やりたいとは思えないでしょうが。

できれば海外のよい教育方法を取り入れ、国内の研究への注力をもっと行うことが必要ではないかと思うのですが。確かに私が研究者になるのであれば、今のままの国内の研究環境で国内にとどまり続けたいと思えるかと言われればそうは思えないでしょう。

南部先生の一件は日本、しいては日本政府へのいい刺激となると思いました。
しかし、それは甘い考えだったようです。
国内の研究者は研究だけでなく、政治の研究への対応にいちいち問題提起をしたり署名活動をしたりしているという悲しい現実があるようです。事業仕分けの一件でもそれは明らかでした。

教育はやはり義務教育レベルから研究レベルまで整ってこそ、それらが一体となって育っていく土壌が出来上がると思います。
義務教育をいくら頑張っても、それから先がなければ学問は成り立ちません。
研究環境の整備がいくら行われても、義務教育レベルで何も行われてなければ、宝の持ち腐れでしょう。

私は日本人であり、日本が好きだからあえて言います。
「今の日本では、ベストな研究はできない」


最近の政治には色々と言いたいことはありますが、やはり学問に身を投じている学生の身としては、日本から優秀なブレインの流出が起こっていることはあまりに悲しい出来事だと思います。
しかし、研究者が悪いとはいえない状況がどう贔屓目に見ても日本の研究環境の実情としてあります。
政府に早い対応を求めたいと思いますが、研究環境というのは幅広くその基盤整備を始めるだけでも大変な労力を有することになるでしょう。
しかし、それを乗り越えてこそ、「教育大国日本」となると思います。

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